坂本龍馬と質屋の意外な関係とは?
2020年5月 1日
今回もcooffee breakとして、質屋に関する豆知識をお届けします。 日本の幕末時代、長崎に日本で初めて商社を設立し、薩長同盟の立役者ともなったと言われている坂本龍馬。その時代ではかなり珍しいビジネス感覚を持ち、明治時代の立役者とも言える人物です。好きな歴史上の人物ランキングでも第2位に選ばれる(ランキングー 【男女12,708名に聞いた】一番好きな歴史上の人物ランキング【2019年版】)など大人気の人物です。
そんな坂本龍馬、実は質屋とも深い関わりがあるのをご存知ですか。
今回は坂本龍馬と質屋の意外な関係についてご紹介したいと思います。
坂本龍馬の実家は質屋さん
坂本龍馬と質屋の関係ですが、実は坂本龍馬の生まれた坂本家は質屋を営んでいた当時の豪商・才谷家が郷士株という武士の権利を手に入れて起こした分家。龍馬は「才谷梅太郎」という変名を使ってたいことも知られていますが、この才谷は質屋を営んでいる本家からつけたと言われています。
坂本家の本家・才谷家はどんな質屋だったのか
坂本龍馬の祖先である人物が土佐で始めたのが「才谷屋(さいだにや)」という質屋です。
高知県立坂本龍馬記念館には才谷屋跡として
才谷屋は坂本家の本家で、寛文6(1666)年に長岡郡才谷村からこの地に出て質屋を始め、後に酒屋や諸品売買業へと商いを拡大していった。八兵衛守之が最初だ。文禄から享保にかけて驚異的に発展し、播磨屋や櫃屋とならび称され、城下屈指の豪商にまで成長する。
才谷屋はもともと大浜姓を名のっていたが、明和4(1767)年、初代の太郎五郎の墓を建てた時には坂本姓を刻んでいる。この墓は直益が建てたとされるもので、坂本姓は直益の頃と思われるが、改姓の理由や時期を確証するものはない。三代目直益の長男八平直海が、本丁筋一丁目南側に分家したのが明和7(1770)年3月で、その翌年5月新規郷士となり坂本家が始まる。龍馬は直海の曾孫だ。
と紹介されるほどの豪商でした。文中に出てくる郷士株とは、いわゆる郷士の身分を譲渡することです。才谷屋八郎兵衛直益は元々商人の身分でしたが、この郷士株を取得することで武士として扱われるようになります。
坂本龍馬は武士として幕末で活躍しますが、その武士らしからぬ優れたビジネス感覚はこうしたバックボーンがあったからこそかもしれません。
今回は質屋の豆知識として、質屋と関わりのある有名人・坂本龍馬をご紹介しました。馴染みのない方に、少しでも質屋に対して親しみを感じていただけたら幸いです。
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