金の歴史
こんにちは。質トダ屋の店主・戸田です。
最近は価格が高騰している「金」。そのため、自宅に眠っていた金の買取依頼にくる方が増えています。そんな今注目の「金」について、いつから日本にあるのか、どのように使われてきたのかについて今回は書いてみたいと思います。
「金」の歴史
金の歴史は古代文明から始まったとされています。そもそも金は、素材としての価値も高く、金属のなかでも叩くと薄く広く広がる点が特徴です。そのため加工しやすく、諸説あるものの、金属のなかで初めて加工されたのが金ではないかといわれているそうです。
ただ、柔らかいからこそ道具としては使用されず、装飾品として主に用いられてきたことも特徴です。これは日本だけに限らず、古代遺跡から黄金の装飾品が発見されていることからも世界中の傾向と言えそうです。また、金は昔からその希少性の高さから価値のあるものとされ、お金の代わりとして使用されていた時代も長いです。金の価値は現在においても落ちることなく、資産形成の1つとして注目されています。
日本の金の歴史
日本で金が初めて発見されたのは諸説ありますが、奈良時代の749年が有力とされているそうです。この説が有力とされている理由の1つが今も残る東大寺の大仏です。この東大寺の大仏は752年に建設が始まり、大仏には大量の金メッキが使用されました。このことから、東大寺の大仏の建設時には既に「金」が発見され、金メッキとして使用できるだけの加工技術が確立されていたと言えそうです。ちなみに、同じ奈良時代の760年には、日本で最初の金貨幣「開基勝宝」が作られたとされており、これまでに見つかった32枚の開基勝宝はいずれも国の重要文化財に指定されているそうです。 日本に金の黄金時代を築いた人物として有名なのは、何と言っても平安時代後期から鎌倉時代初期にかけて、現在の東北地方一帯を治めた一族、奥州藤原氏ではないでしょうか。藤原氏が奥州藤原氏は、何よりも平和を望む人物だったとされています。平安時代末期、東北地方の二度にわたる大きな戦いで人を含む多くの生き物が死んでしまいました。その死んでしまったすべての御魂を極楽浄土に導き、この地方に平和をもたらすべく、現在の岩手県に中尊寺を建立したそうです。 そんな中尊寺ですが、有名なのは金箔を大量に使用して作られた金色堂。極楽浄土の様子を具体的に表現しようとして、当時の工芸技術が集約されました。金色堂は今でも金の輝きを残し、中尊寺を造営した奥州藤原氏初代清衡公から四代泰衡公までの4名の亡骸が金色の棺に収められています。松尾芭蕉の「五月雨の 降り残してや 光堂」の句でも有名ですよね。 平安時代以降も金はしばらくの間、権力者が自身の権力を表すためや中国との貿易などで使われました。輸出品には漆器などの工芸品なども人気でしたが、金の人気がとくに高かったため、この時期に日本国内の金の多くが中国に流出したといわれています。
日本の金山
日本最大の金山は新潟県の佐渡島にある佐渡金山。佐渡金山は、1601年の江戸時代に山師3人により開山されました。1603年には徳川幕府直轄の天領(幕府直接の支配地)として小判製造などに携わり、江戸幕府の財政を支え続けました。 平成元年1989年に佐渡金山は、400年間金の採掘が続いていたものの資源枯渇で操業を休止。現在は金の採掘は行われていませんが、観光地として栄えています。コースやツアーが用意されており、当時の採掘風景が見学できます。ほかにはアクセサリー製作や金箔貼りなどの体験教室も人気があるそうです。 今回は金の歴史について簡単に紹介させていただきましたが、なかなか興味深いものですね。金には人を惹きつける魅力がありますが、その歴史ももっと調べてみたくなってしまいました。
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